はじめに
手書きでジャーナルをつけるようになって2年が経とうとしています。これまで幾度となく挫折してしまう「日記をつける」という習慣を今度こそ続けていきたいと願い私が思いついたのは、「自分との約束」を作ることでした。決まりというか、ルールというか、目標というか、続けるためにとにかくアウトプットすることに集中した約束をジャーナルの1ページ目に書き私のジャーナルは始まりました。2022年11月20日、その日から私のジャーナルはほぼ毎日途切れることなく続いています。
なぜ、手書きで日記をつけようと思ったのか?
そもそもなぜ、手書きジャーナルをつけようと思ったのか。それは、伝統的な日本語をしっかり身につけ、表現を豊かにしたいと思ったからです。私の母語は日本語で、第二言語は英語です。韓国語と中国語も学生時代に授業をとって半年だけ勉強しましたが、コミュニケーションが取れるレベルまでは到達しませんでした。数年前にスペイン語とフランス語もかじってみましたが、こちらは文法や単語が英語と近いこともあるからか、「ところどころわかる時もあるような気がする」というような感じでまだ未知の言語です。仕事は英語と日本語の両方を使いますが、生活で使う日本語とは大きく異なります。方言も含めると、使う言語は住む地域によっても変わってきます。英語の勉強を始めて、その過程で留学を決めて実際に留学したある時点から、英語では知っていて理解もアウトプットもできるのに、日本語ではどう表現したらいいのかわからない事柄が多く出てくるようになりました。このもどかしい感じを解消したくて、母語である日本語の軸を太くしていこうと思ったのです。今思えばそうなのですが、手書きジャーナルをはじめた時は、「何か自分だけのもの、自分だけの空間」があったらいいなという思いの方が強かったと思います。
6つの約束
それまで、誰かに見てもらうことが前提でアウトプットしていたこともあり、ただただ自分のためだけに書き出す作業というのは、なんだか新鮮でくすぐったい感じもしました。私は普段自分の気持ちや思ったことを他人に話すということはほとんどありませんでした。仕事中の話し相手もいませんでしたし、わりと聞き役になることの方が多いのです。
小学生の頃の私の日記を読み返したことがあるのですが、ほとんど行動記録で、最後は「楽しかったです」と、締めくくるかたちがほとんど。覚えていないわけではないけれど、それをわざわざ自分以外の人も見るような日記に記すことがあるでしょうか。まぁ、当時の私がそう思ったかどうかは別として、家族に「学校どうだった?」と聞かれても、「うんまぁまぁ」とか「ふつう」とだけ答えるような淡白な子供でした。学校が楽しくなかったわけでも両親と不仲だったわけでもなく、一日全力で勉強して遊んで、習い事に行ってと、家に帰ってきたその時にはどうにも「今日学校でこんなことがあってね – 」と話せるような余力は私には残っていなかったようです。もう一つ、我が家の躾はあまり厳しい方ではありませんでしたが、「大人の話には口を出さない」というルールがあったので、両親が話している間、子供の私たちは聴いていることがほとんどでした。話を聞いてもらいたくて割り込んでも、母からお叱りを受けるだけ。父が質問してくれたら、話すチャンス。そんな感じでした。さらに、きょうだいとも歳が離れていたので、年上の二人に挑んでも会話が成り立ちません。私は一生懸命話そうとするのですが、ふたりからすると拙い内容。ハイハイと、笑顔で適当にあしらわれ、不完全燃焼で終了。そうやって、自分の生い立ちを振り返る中で、思ったことや気持ちを言葉にするということが私には一番足りていない部分だなと思いました。そいういった経緯も含め、自分との約束を決めました。
一つ目の約束は、「毎日思ったことを文字にする」。ただ、一つ一つの出来事を事細かく覚えていて、その出来事に対して色々な思いがあったとしても、それを全て言葉にしようとすると果てしないので、一日の終わりに残っている印象や思いを文字としてアウトプットしてみました。
二つ目は、「一文字でもいいので続けること」。思ったことが文章で出てこない日もあるかもしれません。日本語にはひらがな・カタカタ・漢字と3種類の文字体系があるので、このうちの一文字を選んで表現してみるのもありかと思い二つ目の約束にしてみました。「今年の漢字一文字」のように、その日いちにちの思いに近い意味の一文字を選んでみたり、ただただ見た目で選んでみたり、そういうのもあっていいかなと余白を持たせる意味でも、この約束を二つ目に入れました。
三つ目は、「日本語で書く」。英語で作業する日もあるので、よく使う言語の方に思考もアウトプットも偏りがちでした。私の場合はそれで心がアンバランスになることがありました。多くは、日本語がすんなり出てこなかったり、最悪どちらも出てこなくなるという現象が起こりました。あとは、生活の場で一人で仕事をしていると、関わる人は一緒に住んでいる家族やご近所さん、あとは郵便屋さんくらいです。高齢者の多い地域に住んでいることもあって、端的でわかりやすい表現で話していることの方が多いのですが、心はもっと繊細にできているのに、かんたんな言葉だけで片付けるのはやりきれないと思い自分が思ったそのままや、違う言い回しの日本語で表現できるようになりたいと思い、読書で学んだ言葉や、出会った方々から教えていただいた表現を手書きジャーナルでは使ってみることにしました。映画を観たり本を読んだりした感想を書くこともあれば、散歩で出会った光景を文字で表現して、思ったことを付け加えてみることもあります。その中で、漢字はできるだけ使うようにして、すんなりと書き出せない漢字は調べて書き足すようにしています。使わないと本当に忘れてしまうのが人間の脳みその優秀なところです。
ということで、四つ目の約束は、「できるだけ漢字を使う」。日本語は、発音は同じでも意味が異なる同音異義語(どうおんいぎご)を多くもつ言語です。話をするときも、漢字で確認したりすることもありますし、純粋に手書きで書けるのって嬉しいし幸せだなと思うことが多いので、自分から出てきた思いの言葉に漢字があるのなら、手書きで書けるようになっておきたいと、この約束をつくりました。
五つ目は、「英語しか出てこない時は、それでもOK」。今はほとんどありませんが、稀にそうなった時があったので、念のための約束事としました。写真作品を撮影していると主要言語が英語に切り替わるので、そういう時は、日本語と英語のコラボジャーナルが出来上がります。自由に切り替えられればいいのですが、日本語の軸がしっかりしている時は、英語も出てきやすいのですが、英語が軸のような役割をするときは、そうはいかないようで、一度切り替わると、日本語をつかさどる言語野の一部にブロックがかかったようになり、アウトプットがしづらくなります。最近は写真を撮影しても日本語で思考しているので安定はしているようですが、やっぱり普段の言語思考とは異なるように思います。脳みその中に不思議なスイッチが存在するようです。
最後に六つ目の約束は、「何も出てこなかったら、絵でも大丈夫」。こちらは、文字にすることを目的に始めたジャーナルとしては最終手段でありますが、二つ目の約束の「一文字でもいいので続ける」を守るための安全網(セイフティネット)として、決めました。今までのところ、絵を描いたのは2回です。シュレーゲルアオガエルが庭に生息しているのを発見してしばらく観察していた時期に描いたカエルの正面と、誕生日が近づく時期に「猫と一緒に住みたいなぁ」と、猫の飼い主に憧れたときに描いた猫の後ろ姿、この二つは今でもたまに見返すと微笑ましくなります。上手でもなんでもない絵なのに、不思議なものです。
まとめ
以上手書きのジャーナルを続けるために決めた6つの約束をご紹介しました。
- 毎日思ったことを文字にする
- 一文字でもいいのでつづける
- 日本語で書く
- できるだけ漢字を使う
- 英語しか出てこないときはそれでもOK
- 何も出てこなかったら、絵でも大丈夫
いかがでしたでしょうか。英語を学習中なら、英語で書いてみるのもいいですね。私にとって日本語も英語もどちらも大切な言語なので、軸を保ちつつ両言語の表現だけでなく色々な言語やことばの知識を深めていけるよう勉強を続けてまいりたいと思います。参考にしていただければ幸いです。