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光と影04 - ひとつになる

 一言ではなんとも言い表せない気持ちというものがある。その一言は浮かぶものの言葉に出してしまうとなんだか違う。いや、そうじゃないんだよでもこの言葉しか浮かばない。いやでも、もっとふさわしい言葉があるはずなんだよ......と、思いつつも、自分の語彙力のなさに絶望したくもないので、結局その言葉を放っている。その瞬間、「あ〜この語彙力なんとかしたい、なんとかならんかな、あぁこう言えばよかったんだ〜......」と、心の中で同時進行の反省会をしていたりする。  「写真に言葉はいらない」と思っていた時期もあったが、今となっては、写真は言葉があって初めて成立するものだと思っている。それは撮影者本人が語るものでなくとも、写真自体がみる人に語り始め、みた人自身の物語がそこから始まったり拓けてゆくきっかけとなったなら、その写真はアートであり言葉を持つ存在だといつからかそう思うようになった。  写真は真(まこと)を 写す(うつす)と書く。一方英語では、写真を Photography(フォトグラフィー) というが、辞書をみてみると、" photo "は「写真」のほかに「光」の意もあり、また、" graphy "には、「書法、画法、記述法、....術、…学」(ウイズダム英和/和英辞典・三省堂)といった意の要素がある。これを踏まえて写真が「まことの光を捉える画法」であるという前提で作品をつくるとすれば、芸術 " art "(アート)にも美術 " fine art "(ファインアート)にもなり得るのではないかと思っている。デジタルでもアナログでも、それが画像表現という平面であっても、物質として手に取り見ることのできる色や形のある立体物であっても、淀みを払った心、本心を以てつくられたものは美しい芸術作品だと私は思う。 冬の黄昏時、鉢植えのシェフレラに注ぐ光を捉える。  

光と影02 - モノクロの世界

  色の無い世界で唯一彩りを見せてくれるのは光の階調。写真の授業で初めて習ったのは、アンセル・アダムスが提唱した7段階のグレースケールだったことを思い出す。光の明度を6〜7つの段階に分け、世界を見ていくものだが、さらに細かく分けるとどうなるだろうか。どこに基準を置けば、この世界の全体が映し出されるのだろうか。白でも黒でもない真ん中のグレーを定めると、自然と全体がバランスをもって見えてくる。  当時の講師の中に、美しいモノクロプリントを作り出す人がいた。 Silvi Glattauer (シルヴィ・グラッタウアー)というアーティストだ。学校の廊下に飾ってあった彼女の作品に釘付けになった。マーガレットの花頭が3つか4つ、平らな台の上に並んでいる静物写真をコットンペーパーに印刷してあるのだが、これが平面の作品とは思えないほどの立体感を醸していた。  ハイライトは黄色味のある光で、黄色の上に黒が乗っているので、マットブラックというよりはチャコールブラックのような感じだったと記憶している。コントラストの高い白黒写真は見たことがあったが、ここまで明度の表現が豊かなモノトーンの作品は初めてだった。印刷にもいろいろ手法があるが、プリンターでデジタル印刷したようには思えない。今年になって改めて彼女のSNSをフォローし始め、印刷の手法が Photogravure (グラビア印刷)だということを知った。彼女から印刷を学べるのは、2年目からだったので、1年でコースを終えてしまった私の唯一の心残りになっていたが、印刷のワークショップやアーティストレジデンスをなさっているとのことで、まだ学べる可能性はある。私でなくとも、もし、この投稿をお読みのあなたがアート印刷を学びたいというアーティストなら、本当にお勧めしたいと思う。  写真の世界に入る段階でスタジオ写真、フィルム現像は体験してみたが、私の身体には合わないようで体調を崩してしまった。食生活の改善を試みてわかったのは、私の身体は化学薬品や人工のものに影響を受けやすいということ。そのことがわかってからは、屋内外問わず自然光を活用してデジタル撮影するという今のスタイルをキープしているものの、憧れは果てしないものだ。写真はフィルムが好きだし、私がコレクターだったら、一番に彼女の作品を購入しているだろうなと、これもまた憧れになってしまうのだろ...

一人旅縁 - 鳩が舞う空

 年末、名古屋へ。  当初は18きっぷを利用して再び在来線でチャレンジしようと思っていたのだけれど、年末の混雑具合を想像して怖気づき、一晩で到着する高速バスから各駅停車の新幹線こだま、ひかり、さくら、そしてのぞみへと検討が移行し、結局、全席指定ののぞみを予約し、新幹線で向かうこととなった。  駅に到着すると早速のお手洗いラッシュ。外にまで行列が続いている。手を洗い待合室に向かうと、こちらは通常より本数が多いためか入れ替わりが早い。すんなりと席につき、発着の時間とホームが表示される掲示板を見つめたり本を読んだりしているうちに時間が過ぎた。そろそろ出発だ。ホームに着くと、すでに予定の列車が停車していたので、乗り込むことに。隣は空席。周りはほとんどが諸外国の方々。日本も多民族が当たり前になったんだなぁと、新大阪駅で乗り込んできた乗客でこの車両の席は私の隣の席以外はすべて埋まったようだ。  名古屋駅に着いても、その印象は続き、向かう先々には多言語が響いていた。  一日目は大須通りを、二日目には大須通から大須観音を参拝した。名古屋駅から歩いた時には途中に教会があるのが見えた。JR鶴舞駅から歩いた時には曹洞宗のお寺を見かけたので、この通り周辺は多宗教がそれぞれの神や仏様を祀って一つの街を形成していることになる。なんだかすごいところだなぁと、大須神社の門をくぐると、境内で鳩の群れが観光客から餌をもらっている光景に出会った。鳩に餌をあげたり記念撮影をしたりとそれぞれの時間を過ごしている。お堂の階段に並び参拝した時も、お経が響き渡る中、日本語・中国語・各国の言葉が参列者から聞こえていた。賽銭箱の近くには一応、参拝の作法を書いた案内板はあったものの、各々の礼儀作法をもって参拝しているようだった。この自由さがなんだか心地よい。  参拝を済ませて階段に差し掛かったところで境内を見ると、餌をついばんでいた鳩が見当たらない。見当たらないが、羽音が聞こえる。上を見上げると、お堂の上空を鳩の群れが飛んでいる。羽ばたいたかと思うと、屋根に戻り、屋根に停まったかと思うとまた羽ばたく。澄んだ青空のもと、鳩の群れがお経に合わせて旋回する光景は私たち旅人を思わせた。  空も大切なことも一つ、別々に見えても繋がっている - そういう思いや願いが溢れる場を体験し実感できた旅だった。  

一人旅縁 - Day Trip to Kanoashi District, Shimane, Japan - 日帰り旅で島根県鹿足郡へ

 早朝出発。家族の車で1時間ほどかけて島根県鹿足郡吉賀町〜津和野へといって参りました。  母の「森で大きな木が見たい」という希望に乗っかり、広島の雑誌「Grande(グランデ)」で読んだという吉賀町(よしかちょう)を目指しました。  広島ICから六日市ICまで高速でおおよそ1時間。  途中、吉和SAで休憩し秋の移ろいを味わいつつの出発。六日市ICを降りるとそこはもう吉賀町のエリア。吉賀町から津和野までは県道で1時間弱の道のりです。まず、六日市ICを降りてすぐの直産・物産館「やくろ」にてお買い物。早速EMを見つけて気分は上々の様子。お野菜も吟味して購入。ただただ木々を見ていたいのだと思っていた私。家庭菜園のための「仕入れ」に気合が入っていました。やくろでお買い物のあとは、水源公園に向かいました。 駐車場から見た水源館 水源公園の案内図  水源公園には、大きな千年杉杉が祀られています。駐車場に車をとめ、水源公園の看板で大体の様子を見てから入りましたが、秋は草木が茂っている状態。それでも広島では見かけることのない小さな花々を発見しては母も兄も顔を綻ばせ、清流や水の生き物も見つけたりと、3人でキャッキャしておりました。杉の木の元には聖水のような池があり、青く光っているように見えました。恐るおそるお参りをして、その後記念撮影。湿原が現れたときに通れるように木の遊歩道を見つけましたが、心もとない感じ。失礼して目視で大丈夫そうなところを歩かせていただきました。杉の木にたどり着く前に気になるスポットがあったので、そちらまで歩いて振り返ると杉の木の全体像が見え、杉の木の観察に励む二人が見えました。手を振ると応えてくれる二人の純真さには毎度頭が下がります。真似はできないけれど、見習いたいものです。 そして個人的に気になっていたスポット、若緑色に見える葉を携えた木を目指して歩いてみると、木々の周りにニョキニョキと映える何かが……。ニョキっと地面から出ている木の一部は、呼吸根と言われるそうで、幾つもの呼吸根がそれぞれ単体の生き物のように見え、不思議な光景をつくりだしていました。他にも香ばしい香りのする木があったり、オレンジ色の種をたくさんつけている木を見つけたり、水場にある木の遊歩道では足元が草で覆われていて、危うく落ちそうになりったりと、それでも間一髪で怪我もなく美味しく持参のお弁当を車...

ショウリョウバッタ

 朝、母のTシャツに小さなショウリョウバッタが留まっていた。預かって外へ逃がそうとするもなかなか手のひらから跳んでいかない。バッタは脱皮を繰り返して成虫になるそうで、このバッタはまだ幼虫らしい。幼虫の時期は目が赤く、緑色にも透明感がある。  葉の上に跳び移る気はないようなので、地面に逃がそうと屈んだら、私のTシャツめがけて跳んできた。どうやら白色が好きらしい。蝉も鳴いている。庭が賑やかになってきた。

AdSense収益化を学ぶ vol.5 - 途中経過報告と審査の前に

 2度目の審査結果が来ました。残念ながらも通らず......。残念な気持ちはありますが、おおよそ見当がつきましたので、問題と改善点を共有したいと思います。  AdSenseとBloggerを繋げることはできているようです。ただ、AdSenseによるとポリシー違反が見つかったとのこと。つまり、ブログの内容(コンテンツ)の問題ということになるのですが、何が問題だったのか見てみようと思います。AdSenseによると、次のような画面にはGoogleの広告を配置できないそうです。 コンテンツがない、または有用性の低いコンテンツを含んでいる 作成中である。 アラート、ナビゲーションなど、行動が目的で使用されている。  ふむ。コンテンツがないことはありませんが、有用性が低い可能性は否定できません。審査を受けている間にも、自分で考えられる改善をいくつか行ったり、記事を追加したりもしたので、作成中であるとみなされたのは、間違いではないと思います。他にも具体的に改善が必要な点を挙げてみましたので、共有したいと思います。 メニュー画面にて、自身のホームページをリンクとして置いていた 文末に参考引用文献を参照しているそのサイトアドレスにリンクが貼られていた サイト全体の色や記事中の文字の大きさなどのバランスが整っていなかった メニュー画面にて、自身のホームページをリンクとして置いていた   1つ目は、審査中に変更しました。すでにメニューにGoogleのプロフィールが常に表示されているので、不要な情報だと判断し、リンクは削除しました。審査の注意事項に、審査中に記事を削除したりしないことというようなことが書いてあったように思うので、こちらも作成中であるとみなされた要因になるかと思います。また、ブログ紹介の文面、「 このブログについて 」のプライバシーポリシーにある「著作権について」も改訂し、メニューに連絡フォームを追加し要件を満たすよう改善を図りました。 文末に参考引用文献を参照しているそのサイトアドレスにリンクを貼っていた  2つ目は、参考引用文献のサイトアドレス。参考引用文献は、文章を書くために参考にしたり引用したりした本やサイトの名前・著者名・サイトの場合はURLを記します。 Blogger の記事入力画面にてサイトアドレスを貼ると自動的にリンクが貼られるのですが、参考にサイトを見てみよ...

手書きで日記 - ジャーナルを続ける習慣を身につけるための6つの約束

はじめに  手書きでジャーナルをつけるようになって2年が経とうとしています。これまで幾度となく挫折してしまう「日記をつける」という習慣を今度こそ続けていきたいと願い私が思いついたのは、「自分との約束」を作ることでした。決まりというか、ルールというか、目標というか、続けるためにとにかくアウトプットすることに集中した約束をジャーナルの1ページ目に書き私のジャーナルは始まりました。2022年11月20日、その日から私のジャーナルはほぼ毎日途切れることなく続いています。 なぜ、手書きで日記をつけようと思ったのか?  そもそもなぜ、手書きジャーナルをつけようと思ったのか。それは、伝統的な日本語をしっかり身につけ、表現を豊かにしたいと思ったからです。私の母語は日本語で、第二言語は英語です。韓国語と中国語も学生時代に授業をとって半年だけ勉強しましたが、コミュニケーションが取れるレベルまでは到達しませんでした。数年前にスペイン語とフランス語もかじってみましたが、こちらは文法や単語が英語と近いこともあるからか、「ところどころわかる時もあるような気がする」というような感じでまだ未知の言語です。仕事は英語と日本語の両方を使いますが、生活で使う日本語とは大きく異なります。方言も含めると、使う言語は住む地域によっても変わってきます。英語の勉強を始めて、その過程で留学を決めて実際に留学したある時点から、英語では知っていて理解もアウトプットもできるのに、日本語ではどう表現したらいいのかわからない事柄が多く出てくるようになりました。このもどかしい感じを解消したくて、母語である日本語の軸を太くしていこうと思ったのです。今思えばそうなのですが、手書きジャーナルをはじめた時は、「何か自分だけのもの、自分だけの空間」があったらいいなという思いの方が強かったと思います。 6つの約束  それまで、誰かに見てもらうことが前提でアウトプットしていたこともあり、ただただ自分のためだけに書き出す作業というのは、なんだか新鮮でくすぐったい感じもしました。私は普段自分の気持ちや思ったことを他人に話すということはほとんどありませんでした。仕事中の話し相手もいませんでしたし、わりと聞き役になることの方が多いのです。  小学生の頃の私の日記を読み返したことがあるのですが、ほとんど行動記録で、最後は「楽しかったです」と、締めくく...

一人旅縁 - 広島–東京を在来線で & el tempo LIVE at BAROOMの感想

    春が終わり夏がはじまる頃、広島から在来線に乗って東京へ行ってまいりました。空の旅、海の旅、陸の旅といろいろ調べ、魅力的なプランはいろいろ出てきたのですが、いまいちピンとこず何度調べても、旅程が決まらない日々が続きました。考えあぐねて一番腑に落ちたのが在来線での旅でした。これまで飛行機や新幹線、そして高速バスでも旅をしました。新幹線ものぞみ・ひかり・サクラ・こだまとあり、一つ前の旅にて、こだまは経験させていただいた。でも、在来線はまだだな。普通電車で遠距離移動ってできるのだろうか、やってみようかなぁということで、各駅停車の鈍行で行ってみることにしました。  始発出発ということもあり、きっぷは事前に購入。WESTERポータルからe5489を通して往復乗車券を購入しました。長距離移動になると、距離に応じて切符の有効期限が長くなります。広島-東京 は800kmを超えるので、切符の有効期限は改札機を通してから5日間に。一日でたどり着けなくもありませんが、その後が続かないだろうなと思い、片道2日間で移動する旅程を組みました。道中の様子は、自身手書きの旅ジャーナルをもとにお届けいたします。 Day 1    広島から三原(みはら)までは、1時間16分の道のりだった。次の電車まで20分くらい待ち時間があったので、改札を出てみることにした。「営業距離100km以上なら途中下車が何度でもできる」と書いてあったのは見ていたが初めてだったので、駅員さんに確認をして改札を出る。駅前の噴水を一周して、ローソンでペットボトルの水を購入。再び改札を通り駅のホームへ向かう。相生(あいおい)行きの黄色い電車に乗り三原駅を出発した。大門に着く手前くらいで、登校中の中学生と相席になる。私も彼らも大きな荷物を抱えているが、彼らにとってはこれが日常、私には非日常の世界だ。おそらくいつも座る席にいつもと違う人が座っていたのかもしれない。そうだとすれば、彼らにとっても、いつもとはちょっと違う朝のひとときだっただろうか。 駅名のプレート  広島から岡山に入ると、駅名プレートの両端に引いてある線の色が黄緑色からやまぶき色に変わった。兵庫県に入ったら、また黄緑色に。上郡(かみごおり)のあたりでは、麦を栽培しているようだ。若麦の緑色の畑が広がる。有年(うね)駅でまた、駅名プレートに引いてあるライ...